プロフィール

粟野のこと

はじめまして、粟野(あわの)です。
このブログでは、私が人生で得た学びを自分への備忘録として残しておくと共にみなさんへの共有にて何か少しでもお役に立てる情報を発信していきたいです。

略歴

粟野(あわの)
2000年生まれの25歳。しし座、A型。生まれも育ちも滋賀県、20歳から京都で4年間一人暮らししたものの地元が恋しくて滋賀県に帰ってきました。母と父、四つ上の姉との四人家族です。

デザインの専門学校で広告、Web、動画について学び、アパレル企業で4年間Webデザイナーとしてネットショップ運営に携わる。現在は地元で開店するカフェのデザイナー兼スタッフとして活動しています。

粟野のこれまで

今の私をつくる幼少期

祖父の背中でにっこり

滋賀県で3500g以上の大きめベイビーとして生まれ、山が近くにある団地で幼少期を生まれ育つ。

私の中にある一番古い記憶は、姉の後をどこでもついて行って結局階段から落ちて大泣きしていたこと。手にはチョコベビー、今でも見ると頭が痛むような…(明治さんすみません)

保育園では絵本を読むのが好きで友達に読み聞かせたりもしていた。絵を描いたり、工作をするのも好きだけど描いているのはほとんどウサギだった。でも友達に喜んでもらえるのはとても嬉しかったし、それが原動力でどんどんウサギを生み出していた。

人に喜んでもらいたいというのは昔も今も変わらずにいる。

当時よく読んでいた絵本の一つにはドラえもんも。

小学生時代では、人間関係がなかなかうまくいかず学校に行くのが辛かった時もあった。しかし、バスケを習い始め他校の友達ができたことと、チワワを飼い始めたことが心の救いになった。

ただ、近所ではあまり遊ぶ友達がいなかったので家でファミコンに熱中。(一番のお気に入りは桃太郎電鉄)しかしある日、コンセント付近から煙が出たことによってファミコンは母に捨てられてしまった。(それはそう)

バスケに捧げた12年

中学生時代には小学生から続けていたバスケに打ち込む日々。

毎日山を5キロほど走り、元陸上部の顧問の先生に体力をつけてもらったおかげで長距離走は学年で一番だった。肝心のバスケは県大会出場一回戦までしか成績を残せていない。

高校になってもバスケ漬けの日々は続く。県内でも上位校へ入学することができたが、大人数の部員の中から試合に出る責任の重さにメンタルの弱さが出てしまい、スランプに陥った。自律神経が乱れ夜尿症に悩んだ日も。

それでも、顧問の先生との出会いや今でも仲良くしている友人、得た学びは間違いなく今の私をつくっていてこの日々を過ごしたことに後悔はない。

バスケとは高校以降は少し距離を取り、今では週末に楽しめるように。

デザイナーになりたい

高校卒業後は小学生ごろから夢見ていたデザイナーを目指し、デザインの専門学校に入学する。しかし、小中高とバスケ漬けの運動部系の私。これまでまともに絵の勉強をこなかった。

案の定、周りの美術部に通っていた人や絵の得意な人に圧倒される。

デッサンでは本当に恥ずかしくて人に見られないようにどうやって隠すかばかり考えていた…。

そんな中、「デザインは伝えること」と先生から教わる。そこから、画力以外の部分で勝負しようとコンセプトやアイデアの発想に力を入れ、学内でも何度か賞をとることができるようになった。

会社員時代

新卒ではアパレル系のインハウスデザイナーとして働く。

ネットショップの運営にも携わることになる。企画からカスタマーサポート、商品の発送業務などデザイン以外も業務は幅広かった。

一つのことに集中するよりも色々なことをする方が好きだと思っていた。
さらに、覚えることは多くて大変だったけど楽をしたいという考えはない。隔週土曜日の出勤も部活で休みなく練習していた時のことを思えば、苦ではなかった。

何よりもなりたかったデザイナーという肩書きを手に入れたことが嬉しかった私。休日には仕事に役立ちそうな施設を訪れたり、本で仕事に関することを勉強して励んだ。

入社して二年が経った頃コロナによる規制もマシに。そのため、会社の人とそれまでよりもご飯に行ったり外で付き合うことが多くなる。社内の噂話や愚痴を聞くことが多くなった。

こっちにいけばこの人の愚痴、あっちに行けばあの人の文句…。誰を信じればいいのかわからなくなっていく日々。小学生時代の人間関係のもつれが頭によぎり、つい各方々にいい顔をし続ける自分にも嫌気が差していく。しまいには、そのストレスで不眠症になり結局は適応障害と診断されてしまった。その後退職し、休養。

ドラえもんに救われる

元々好きだった外出の気力もなく、家で引きこもる日々。そんなとき、なんとなく持っていたドラえもんを読んで久しぶりに笑う。大人になって読むと子供の時に気づかなかった奥深さにも気づいた。

そうやって、ドラえもん、藤子・F・不二雄氏から人生について考えるきっかけをもらった。

ジャイアンのパンチは小学4年生とは思えない

粟野のこれから

25歳になった今、改めてドラえもんを読み直し、学びを記録したいというのが一番でこのブログを始めました。

タイ、バンコクで手に入ったドラえもん

ドラえもん好きの方、ドラえもんに関する話題を探している人などに面白いと思ってもらえるような内容にしたいです。あと、様々な言語のドラえもんの翻訳を読み解き、文化による表現の違いと世界で愛されるドラえもんに出会いたいです。

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