ドラえもんの一巻初めの回である「未来の国からはるばると」でドラえもんが引き出しから出てくる有名なシーンから感じたドラえもんの憎めない感。
ドラえもんの登場の仕方について
のどかな正月を過ごすのび太に「首吊り・火あぶり」を予言する声が聞こえる。その声はドラえもんで「誰だ!」きみ悪がるのび太に「ぼくだけど。気にさわったかしら。」なんて言いながら引き出しから出てくるドラえもん。
第一声、私なら何て言う?
この時、もし私が引き出しから出てくる側の立場だったらどうだろうか。
人見知りの私は「わたしだけど。気にさわったかしら」なんて初対面の相手にはきっと言えない。
「あっ、それ私です。突然すみません。私粟野というものですけど…」と下手から出てしまうことだろう。なぜなら、もしも引き出しから出てきたところがジャイアンの前だったなら、

きっと、即グーパン喰らうな。それでなくても、あんまりいい気がしないと思う。
でも、ドラえもんには可愛げがある。登場シーンに嫌な感じがしないのは表情管理が絶妙だからなのではないかと考えた。同じことを言っていても表情、声のトーンで受け取り方が変わった経験があるし、大概のことを言われても憎めない人もいる。
可愛げとは何か
ドラえもんから感じた可愛げ、そもそも「可愛げ」とは何かについてチャットGPTに聞いてみた。
可愛さ+人間味 が合わさったようなもの。
例えば「完璧で隙のない人」よりも、「ちょっと抜けていて愛嬌がある人」のほうが「可愛げがある」と言われやすいです。
これがチャットGPTが辞書的な意味(広辞苑・デジタル大辞泉など)を踏まえて一般的な解釈をわかりやすくまとめ直してくれた内容だ。
そうそう、これはまさにドラえもんのことだと思う。ドラえもんは道具を完璧に使いこなしてはいないし、この話の最後にもタケコプターのつけ場所を「どこでもいい」とのび太のお尻につけたことによって結局のび太は落っこちてしまうと言うオチで締めくくっている。

そのちょっと抜けている感がドラえもんの隙で私が可愛げを感じるポイントになっているのだろう。
まとめ
私はこの先も完璧な人間でいることはできない。だからこそ、愛嬌で人を嫌な気持ちにさせない人になりたい。以上が、第一話を読んで私がドラえもんから学んだ「可愛げ」の話です。
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